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【ひとりごと:終焉~とことん0[ゼロ]を通る①】

 27, 2010 18:00
2010/10/27(水)曇り時々晴れ



昨日は、北海道でも初雪が降ったようで、TVの画面を見て
懐かしいような、寒さを思い出したような感じ~。
東京のほうも寒くなっているけどね。

今日は、わたし的(家賃の支払い)のタイムリミット。
昨日は、まだ”恐れ”が身体にも現れていてきつかった。
客観的に絶えず内側を見つつも、こりゃ、もう出るだけ出すって感
じがするので、気分いいわけじゃないけど仕方なく味わってた。
(ほんと、まだある事に驚く。汗)

いったい何度、手放すことをやっていくのだろう?
いろいろな思考、恐れの名残り自体が、一旦現れると、けっこうな
もの。ポンポン、はいっ。と掃えるようなものじゃないよ。

でも、今日になると、いよいよ支払いの日が来たというのに、
身体のほうの”恐れ”の反応はなくなっていた。
だいぶ抜けたのかもしれない。

でも、、、? 
抜けてくれて身体は確かに昨日よりは楽になったけれど、実際に家賃
間に合わなかったら、この言い訳はどうしたらいいのか、、、、?
今回は、全くアイデアさえ浮かんでこない。とにかく対策もゼロなのだ。

ただただ、自分を信じて過ごすのみ。
でも、さっき思ったよ。
確かに、この地球に暮らし肉体がある以上は、3次元的なことでグラ
ウディングが必要なとき(時期)もある。
※三次元的なグラウディングと五次元的なグラウディングって
 また違うと思うし。

でも、今は、この家賃の支払い期日ということでさえ、今一度、
手放すことなんだな~と感じている。
これまでも、何度もやってきたけど、完全に落としきるまで、
お許しが出ないんだな~ってことも気づいていった。
(この信念体系、はい、そうですか!って一度で落とせるものじゃない
 のさ~。 泣)

あのチリの事故で33人が埋められたのが、【死と再生】の象徴なら、
あの事故が起きたときは、いったん【死】だったのだ。
それを思い出したときに、【死】のときに、家賃の支払いがどうとか
家族がどうとか、ペットがどうとか、死に際には思い出すかも人もいる
かも知れないけど、、、、でも、最後、死を覚悟した瀬戸際には、全て
の執着も完全に捨てざる得ないよね。

生きることへの執着、地球に対しての執着、その身の回りにあるもの
全てへの執着。これを全て、今この時に手放すのだな。って感じた。

なんかね~、そこなんだろうな。ってね、、、。

でも、そこを本当の意味で手放すには、このギリギリの体験がないと
ナカナカできないことかも知れない。
最後の最後まで、無意識にでも、しがみつきたい自分(自我)がある
のだと思う。

頭でわかってても、ここを体験するのは本当にきついもんだね。
私の場合は、もうそんな執着も捨ててきたと思うのに、もっと深い
ところ、自分で自覚さえも出来ない領域で残っているなにかが、ある
んじゃないか。って思って。(その段階も、何段階もあるよ。)

もう、今日は支払いも間に合わないだろう。
でも、それさえも超えさせようとするyoham(私の神)がいるんだ。

どんなに心細いか、不安か、マインドが何言ってるか(笑)まで全て
知った上で、越えさせるんだよね。

でも、どんな体験も、全てが”愛”から来ているってことさえ分かって
いれば、どんなに腹が立ったとしても、怒りが出たとしても、泣きたく
なっても、受け入れることは出来るものなんだと思う。

今回、この支払いに対して(大家さんや不動産やさんからのクレーム)
なども全て、いったん全部受け入れ、また超えていかなきゃ進まない。

もう、対策がどうとか、言い訳うんぬんとかの段階ではない。
より大きな観点からすると、今の段階は、そこじゃないんだ。
そんなことも、頭では判っていたけど、最後まで抵抗する自我もあるから
身体に現れていたのかもね。
(人それぞれの段階、超えるところも違うし、すでにハート(源)に繋がり、
ハートからの指示意外は、マネをしないでね。汗)

チリの事故の【死】から、たしかに【再誕生】までの”期間”があった。
それは、私たちにも言えることで、ずっと数ヶ月間【再誕生】に向けて
妊娠期間でもあり、多少、痛い思いをしながらも、手放してきて、自分
をより成長させてきた。ときには、いつそこから出ることが出来るのか、
出口はどこにあるのか、と不安になったり、模索したり、あきらめては
また希望を見てきた。

あるメッセージでは、その再誕生というのは、日本では11月6日土曜日
(13:52)新月までの期間を言ってるような雰囲気があった。
(そんなニュアンスだったと思う、、、。違ったらゴメン。)
人によっては、この期間に、なんか新しい始まりを実感したり、何か変わった
と感じることがある人もあるかも。

私も、その日はいつだか今はわからないけど、もうどちらにしても生活自体
が成り立たなくなるのも目前なんで、yohamはちゃんと準備していると思う。

意識を、より高い次元にあわせていられると、不安は全くないよ。
それよりも、楽しみになるくらいだから。

だけど、意識がいったん、この生活レベル(次元)に落とすと、そりゃ、
大家さんに何と言えばいいのか?と混乱しそうにもなるほどだ、、、。
(ちょー、平行現実だ。)

でも、それだけ意識のあわせる次元によって違いがあるってことなんだよね。
意識的、無意識でも、多次元を自由に行き来してる自分を感じてるよ。

もう、今日からすでに入金されていないと連絡がくるかも知れない。
無視することも出来るし、苦しまぎれに何かいうかも知れないし。
でも言い訳も思いつかないから、何か見えるまでは連絡も出来ないかも。
もう成り行きまかせ。汗

母には昨日メールしたら、返済は、自分のやってることが目処ついてからでいい
から、無理しないように、、、と返事が返ってきた。ありがたい。少し楽になった。
娘には今月中と言ってあるので、きっと、それまでには何か見えてくるだろう。

もう、月1万円生活(YV番組みたい)のような生活、、、いや、1万円以下の生
活かな?(笑)もさすがに、後半はうんざりしているところもあるけど、その反動
もあってか、どんなところにも、ささやかな希望を見出しては、その希望で
生きてるみたいなところも正直あって。(笑)

どんな状況下であっても、人間って”希望”さえあれば、生きられるん
だなっ。って実感した。

でも、”希望”がもし、もてないとしたら、どんなに苦しい意識を持ち
続けるのだろうか、、、と反対に感じた。
憎しみ、嘆き、訴え、どこにも道が見出せず、、心の支えを失くし、きっと
世界には、そんな体験をしている人たちもいるだろう。光が見えないと、
どんなに辛いだろうか、、、。

私は、自分で希望を見つけようとしたし、それを与えてくれた天界たち
の存在がある。求めれば、希望さえも与えてくれるものなのだと知った。

どん底にあるとき、希望を持とうとするのか、その現実に飲み込まれ
絶望の中で生きるのか、、、それも人間の選択になる。

私に希望を与えてくれたのは、過去のメッセージであったり、時には、
”~したい。~食べたい。~行きたい”とか。いろんなものが希望に
繋がったけど、そうやって絶えず、私に意識を向けさせてくれたのも、
天界のサポートであり、yoham(私の神)でもある。
そして、自分自身が、どう在りたいか。を感じてこれたからだと思う。

その希望が、たとえ一時的なものであったとしても、それに支えられて
進んできた自分がいる。(たとえ、目の前のニンジン的な役割であっても)

でも、それが後に現れた現実とは違っても、その時点では、その希望が
なければ、進んでくるのはとても苦しく、難しいものになっていたと思う。

そんなことまで、この数ヶ月間のあいだに身をもって知ってきたことだった。

だから”希望を持つこと””希望をもてること”が、いかに大切かを実感
したよ。

だから、たぶん今後は、それを実感したものとして生かされていくのだろうと
思う。(奉仕として、希望を与えられるような者として)


さて、「奇跡は起こることは知っていても、それさえも手放す。」って
以前にチャネラーさんが言ってた言葉だけど、これも、何度も体験したし、
段階において手放すこともしてきた。

でもね、昨日、このドタンバになると、どうしても手放せてない自分
を知ることになるのさ。汗

「○○日までに、奇跡が起こって欲しい。」ってどっか思ってる。

自分で期限、枠を制限してどうなるの?って自分でもわかってるけど、
もう、こんな思いはしたくない。と焦りだし、、、。

「それまでに、なんとかしてっ!」って出てくるんだよね。
いつもいつも、それに裏切られるけどさ。笑(痛い体験だけど、いい意味で。)

奇跡を信じることも、ある部分では自我(エゴ)と直結してるんだよね。

だから、奇跡が、いつ、どのように起こるかは聞かないでって守護天使
は言うのだけど、こっちが勝手に、極限までいくと、希望的観測を始めて
しまうものなんだね。(それは、ものごとによるけどね)

これも、いつの間にか、だんだんハードルが高くなってきてたんだと思う。
だって、最初のほうは、ちゃんと手放すことも出来てたもん。(笑)

こうやってブログ書いてたら、なんだか今までの期間の”まとめ”
のようになってきちゃった。

でも、自分の中も整理ができて、ホントにいいもんだわ。

今のところ、まだ電話来てない、、、。
やっぱ、不動産やさんから電話くるの、ちょっと怖いな。
向こうにしたら、「またかいっ!!いい加減にして!」って感じ
だろうけど、、、。 
どう見られたとしても、自分が今なんのために、このプロセスを
やってるのか。という所に戻れば、なんのこともないんだけどね。

今のプロセスは、人類の根付いた古いプログラム、信念体系を外して
いるわけで。自分のためでもあり、全体のためでもある。

なので、ソース(源)の元で行ってることに、良い悪いなんて、そも
そもないのさ。(笑)

だから、必ずなんとかなるっ!! 道はある!!
そういうこと~。^-^

すべてに感謝!!

*  *  *

昨日、引くつもりじゃなかったのに、このサイト開けちゃったから
引いてみた♪ 初めて出たカードだった。

☆OSHO禅タロット(無料)

可能性

39. 可能性

心(マインド)は、どこのどんな境界でも受け容れることができる。
だが、現実はこうだ——存在には、その本性そのものからして、どんな境界もありえない。
というのも、境界を超えたらなにがあるかね? またしても、もうひとつ別の空。
私が、あなたの飛翔を空また空がそこで待ち受けていると言うのは、そのためだ。
安易に満足してはいけない。安易に満足している者たちは、いつまでたっても小さいままだ。
その喜びも小さく、そのエクスタシーも小さく、その沈黙も小さく、その実存も小さい。
だが、その必要はない!
この小ささは、あなた自身が自分の自由に、自分の無限の可能性に、自分の無限の潜在能力
に押しつけたものだ。

Osho Live Zen Chapter 2

解説:
鷲(わし)は自由に、自然に、楽に空を飛びながら、下の風景に含まれているあらゆる可能性
を一望のもとに見下ろすことができます。鷲はまさに自分にふさわしい場所を得て、とても
堂々として、みずから満ち足りています。このカードは、可能性の世界が開かれているポイ
ントにあなたがいることを示しています。

あなたは自分への愛を、みずからの充足をいっそう育んで成長してきたのですから、ほかの
人たちとも楽にワークしていくことができます。あなたはリラックスし、くつろいでいますから、
ほかの人たちと出会ったときに可能性を見抜くことができます。ときには、彼らが自分で気づく
前にその可能性を見てしまうこともあります。あなたは自分自身の本性と調子が合っていますか
ら、存在はまさに自分が必要としているものを与えてくれていることがわかるのです。

この飛翔を楽しみましょう! そして、あなたの前に広がっている風景の変化に富んだ驚きを、
すべて祝いましょう。


*  *  *


【転載】マスターヒラリオンの週報 10月24日-31日 へ

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