FC2ブログ

【パートナーシップのこと】&【転載】罪悪感と面目のなさ

 22, 2010 23:25
【参考メッセージ~男性(性)、女性(性)の役割について】


*  *  *

最近、Gちゃんとあることから、人は、無意識にも操られたり、
コントロールされているときがあるよね。という話をした。

多くのことは自分の体験からこの仕組みがよく見えるだけに、
話し始めたのがキッカケだったのだけど。
大抵は、「何かがおかしい、、、」「何かが違う」というところ
から、パターンが見えてくる。

もしかすると、最近、下記のような体験をした人も多いかも
しれない。

実際、どこにでもあるような事だから。自覚あるなしに関わらず。
職場や、友人、親子でもどこでも起こりえることで、、もしかすると
あまりにも頻繁すぎて、マヒしているかも知れないってくらい、世の
中にあふれているのかも、、、。

例えば”スピリチュアル”を自分の都合のいいように利用して
いる場合だってないともいえないよね。

一緒に住んでいて、執着、依存を解放するといいつつ、家族を
大切にするということを後回しにしている人もいるかも知れない。
それであれば、本末転倒である。

だって、実際に、家庭でしっかり学んだ後に、アセンションする
と決めている魂も中にはいるのだから、、、。
そうなると、せっかくの場やチャンスから、さらに遠くなって
いる場合もある。

それは、ただの”責任放棄”にすぎない。
しっかりと、自分が親であれば、親としての愛情を示し、責任
を果たしたうえで、執着や、依存を手放してアセンションしている
人だっているしね。

自分はどうなのだろうーと悩むのであれば、自分は一番何に
目を背けやすいのか?と見てみると、魂の課題、超えていくと
ころがより見えてくると思う。

人それぞれに違うからね。

ときには、エゴで、スピリチュアルなことを、自分の都合の良い
ように解釈してしまうことだってあるかも知れない。

自分の中に罪悪感などがあると、無意識の中でも、相手を操作し、
コントロールしてしまう場合もある。
自分では分かっているから、無意識に自己防衛で、相手に、「あなたの
せいで、自分はこうなっている」と訴える。
自分を被害者にしたてる。無意識でも。

パートナーと話していて、「何かが、違う、、、」と感じること
はないだろうか、、、。言ってることは、なんとなく理屈に合ってる
ような感じがするけど、「何かが違う、、、」

これは、私的にハッキリ言えば、、「何がが違う」=「愛を感じない」
ということなのかも知れない。自分の体験からだけど。(笑)
本能で感じているのか?(笑)

この自分の中で感じていることを、どうも見過ごす傾向がある。って
思う?

もしあるとすれば、それは真実を知るのが”怖い”のかも知れないね。
だから、見ようとしない、気づかなかったことにしよう。として、
結果的には、同じことを何度も繰り返すことになる。

もし、パートナーと話していて、「自分が悪いのだろうか、、、」
と感じたときは、安易にそれを、そのまま鵜呑みにしないで、
どうぞ、本当に、自分が悪いことをしているのか徹底的に確認して
みてください。納得のいくまで。どうぞ!
違うものが見えてくるかもよ。

「本当に、そうだろうか?」を考える冷静さを持ってください。
どんな状況であれ、双方で選択しているポイントというのがあります。
同意しているポイントというのがあるかも知れない。
なので、それは本当に、あなただけの責任なのか?ということです。

これは、ひどくなるとDVにも発展する場合もあるよ。
時に、無意識に、あなたの優しさ、良心などに、漬け込んでくる
場合もあります。本人は無意識かもしれません。
責める必要もありません。伝えても本人には理解できないかも
知れないので。

何が”それ”を言わせているのか。
罪悪感からか、自己防衛か、、、、?
どこからか、話のすり替えがあるかも知れません。

それを、客観的にみて、はたして、その言い分を許すことが、
本当に相手の為になるのだろうか、、、。ここをよく感じて
みてください。

よくあるパターンには、何かあったあと、必ず反省したり、
とても優しく接してきたりする場合があります。
とても、巧妙に行動する場合があります。無意識でも。
でも、実際に反省するというのは、繰り返さない時点に来たときの
ことをいいます。
でも繰り返すのであれば、それは許しているほうにも責任があります。
なぜ、許してしまうのか?”罪悪感”から?
どこで、その罪悪感が生まれたのかな?いつの時代(笑)から?

これは、エネルギーの奪い合いになります。

その時に、自分の感じていることを、葬らないことです。
「まっ、いいか」で終わらせないことです。
優しさと、甘やかすことは違うと強く感じていることです。

いつまで、相手にエネルギーを奪わせますか?
いつまで、それを許していくのですか?
それを、お互いに繰り返してますか?

この道は、【愛】を知る道だったよね。

愛の深さ、幅、広さ、多くを学んでいるんだよね。

かなり話がズレていってたかも知れないけど、なんか、
このような話を、今、書いてみたくなったんだよね。

そんなことも含め、先日Gちゃんと電話で話してました。

すると、こんなメッセージがアップされたの。

多くの人が、いろんなことに気付き始めているということかも
しれない。ってことなのかな?
だから、私も、話の流れからだったけど、熱くこんなことなんかを
Gちゃんにも語ってたかも知れない!(笑)

男性性、女性性のバランスや統合も然りだけど、、、、
今、このようなアンバランスなものも解放されてきているのかも~!!

(前振り、長っ!!)

[mixi]Arrived Energy On Earthより
「罪悪感と面目のなさ」
チャネラー:Jennifer Hoffman
http://www.urielheals.com/Messages.html

エネルギーシフトが、私たちのハートを神へと開いてくれればくれるほど、私たちが持つ、
より暗く重いエネルギーに気がつくことになります。そのエネルギーが私たちの持つ制限、
不幸、挫折とつながっていることがわかります。
これらのものに結びつく経験を断ち切ることができるので、私たちはこれらを手放すことは
簡単です。他人の行動を自分への個人的なものとして受け取らないことで、裏切りや失望を
手放すことが簡単になります。
他人が限られた所有物の中から、私たちを愛したり、私たちに与えてくれたりすることを理
解すれば、私たちが捨てられたという思いを手放すことさえできます。
しかしこのような感情には、罪悪感と面目なさのかけらが残っていて、処理するのが難しく、
これらが個人にどうかかわるのかを解決するまで、心にシミのように残ります。
罪悪感と面目のなさは、克服の難しい感情のなかの二つです。それは、理解するのが難しい
ことと、私たちの身体、感情、精神の歴史と複雑にからみ合っているからです。

私たちが罪悪感を持つのは、実際にしたこと、しなかったこと、言ったこと、言わなかったこ
と、起こさなかった行動、とらえ損ねた機会に対してです。私たちの人生がコントロールでき
る範囲を越えると、恐れが強まりますが、事態をここまでにしてしまったことに対する罪悪感
によって、余計深刻に思えてきます。 私たちは罪悪感から自分を罰します。

それは、事態にもっと上手く対処でき、こういう事が起きるのを防げた筈だと信じるからです。
それに加えて、自分と他人の気分を滅入らせたということから落ち込んでしまい、従って変化
を起こせなくなるのも当然かもしれません。

カトリックの教えに苦しんだ人たちは、神と直接対話するだけの価値を自分が持たないので、
永遠に天罰を受ける、という罪悪感を植え付けられて育ちました。
また、両親は罪悪感を用いて私たちが残さずに食べるよう仕向け(アフリカに飢え死にしそう
な子供たちがいるよ)、私たちが行儀よく振舞うように仕向け(家族を困らせたら、お母さん
を傷つける)、両親が最適と思った職業につくよう仕向けました(医者や弁護士になったらど
んなに鼻が高いでしょう)。
そういうわけで、自分が本当に望むものに向かって進んだのではなく、自分が他人の不幸や失
望の元になりたくなかったため、罪悪感が行動の元になったのです。

人の感情を傷つけて罪悪感を感じたくないばかりに、私たちは一体何度「ノー」と言いたい時
に「イエス」と言うのでしょう。


わがままを言ったり、自分のためになることをしたりすると罪悪感を持ってしまうので、それ
を避けるために仕事を引き受けてしまうことを、何度繰り返しているでしょう。
そこでまた、「イエス」と言ってしまったことで、二重の罪悪感を持ちます。
自分に尋ねた人への罪悪感もあるし、求めたものを得られない怒りから来る、自分への罪悪感
もあります。
私たちが人生における選択と行動という力を持つことを忘れなければ、罪悪感は面倒で厄介な
感情ですが、克服することも可能です。

面目のなさは、自分の中から発する感情です。自分をどうとらえるかを決定する、無価値感か
ら発するので、罪悪感よりさらに破壊的な感情です。
感情の中でもこれは中核をなし、私たちの生活のすみずみにまで広がり、私たちのエネルギー
の振動を大変低くしてしまうので、あらゆる状況下で私たちは自分を価値のない人間だと思っ
てしまいます。

私たちを侮辱する人は、自らの面目のなさからそうするので、罪悪感がしばしば人を操るのに
対し、不面目さは人間破壊に通じます。


侮辱されると、自分が不十分、能力が足りない、正しくない、価値がない、と思ってしまいます。
また、何かに失敗した時、私たちは自分を侮辱しますが、不面目なのは失敗そのものであり、自
分ではないことを理解していないからです。

現在、益々大量のエネルギーが処理されていますが、樽の底から漏れていたものは、検討しなお
すために私たちの目の前に持って来られました。
既に簡単なエネルギーは処理が終わっており、次のものに取り掛かる準備ができています。それ
は、自分を叩きのめしたり、自分のすることを妨害したりするような行動の源のことです。
私たちの中にどれほど罪悪感や面目のなさがあるかではなく、そういったものは全て破壊的で挑
戦的なのです。

私たちがつけ込まれたり、酷使されたり、虐待されたり、操られたりしたと感じる時は

いつでも罪悪感と面目のなさが何らかの形で存在しています。
成功すること、あるいは失敗することへの恐れがあなたを悩ませるなら、あなたが本当の力を発
揮することを妨げているどんな罪悪感や面目のなさがありますか?
どのようにそれを解決し、手放せばいいのでしょう。
それが私たち自由への鍵です。
私たちが足を取られている所にこそ罪悪感と不面目さを見つけなければなりません。
そしてここで私たちが人生の祝福への道を見失うことがあるのは、自分自身と完全につながるこ
とを妨害されるからです。
本来私たちは夢を追い、生きて愛して、喜び、成功や達成感を得るのに値する存在のはずです。

あなたの人生に罪悪感と面目のなさが立ち現れたら、それがどこから生じたのか、誰が関係して
いるか、どういうメッセージを伝えようとしているのかよく見極め、その後あなたは創造主の聖
なる火花として、あなたの心が望むものに値すると自分に言い聞かせて、罪悪感と面目のなさを、
人生から追い出してしまいなさい。
そして、空いたその場所を、あなたの神聖で生まれながらの権利である自分自身への愛、あなた
の夢への愛、奇跡や喜び、豊かさでいっぱいにしてください。



-すいれんさん訳

*  *  *

で、以前にアップするタイミングを失っていたメッセージ。

【転載】“アンチ・光”を暴く①、②  へ

スポンサーサイト



COMMENT 0

WHAT'S NEW?