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【魂の進化~愛への回帰[奇跡の道]】

 25, 2010 14:53
2010/5/25(火)晴れ
☆ 昨夜(夜中)に書いてアップしたのは、こちら。
 ↓  ↓  ↓
10/5/24【顕現のスキル~新しい自分に向かうまで】
(寝起きに、また気づいたこともあったので、ちょっぴり追記あり。スマン。)


IMG_2158_20100525142429.jpg


今日は、暑くなった。昨日は、寒くてスウェットだったけど、
今日は、Tシャツに短パン。(笑)

今、なんとなくサイトを見てたら、下記の【奇跡の道】へ辿りつき、、、。
以前にチラッと見ただけだったけど、ちょっと一部分転載してみる気持ち
になったんで、ブログを書いている。

*  *  *

【奇跡の道】(ア・コース・イン・ミラクルズ)
http://ww4.tiki.ne.jp/~fipc/Kisekinomichiframe/index.html
現在は、”著作権”が放棄されており、オンラインでも入手できる。

ACIM-Wikipedia
日本では、「ACIM」と呼ばれることが多いと書いてある。
1976年に出版。

この本は、愛の学習コース、奇跡のコースとも呼ばれている。
アメリカ・ニューヨークの大学の二人の教授によりイエスキリストからのメッセージ
を何年もかけてで書き取ったものと言われ、およそ500ページに及ぶ長編である。
今は、19ヶ国語に翻訳されていて、累計販売数は200万部以上らしい。

上記のリンク先で、【奇跡の道】日本語訳 が読めるようになっている。
これでも、かなりの量だけど、もしかすると抜粋なのかな?

これを翻訳された方のHPのリンクがあり、
そこで、全文(A4版)869ページ完成ってあるから、、、。
ホームページ【F. I. P., c】はこちら→http://ww4.tiki.ne.jp/~fipc/Kisekinomichiframe/index.html

このサイトを見つけたのは、今年に入ったばかりの時だっただろうか?
もう、必要性は感じなかったので、「お気に入り」にだけ登録し、そのままだった。
かなりの量なので、ちょっと画面では読みにくいかも、、、。
言葉も、よく読めば難しいわけじゃないのだろうけど、、、でも、この内容は、あらゆる本
の元になっていると感じている方もいるようだ。特にニューエイジ本。
でも、スゴイところは、量が量だけに、魂の道筋というか、、、あらゆる段階の
状態も書かれているかも、、、。
全部読んでないので、そこんところはあしからず、、、。

たしかに、内容は、もし”真実”があるなら、”真実”とも言えるような本かも。
殆ど、読んでないけど、今日の転載させてもらった文章からも、
「確かに、そのとおりだった~!!」と感じるのである。 (笑)

よい手引書になるだろうし、独学できるのではないかと思う。

もし、参考にでもなれば、幸いです。

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第二十一章 理性と知覚より
四 内面を見つめることに伴う恐怖

  聖霊は決してあなたが罪深い存在だなどと教えたりしない。間違いは訂正してくれるが、これを恐れ
る者は一人もいない。あなたが本当に怖がっているのは、心の中をのぞいて、そこにあるものと思い込ん
でいる罪を見ることである。このことを認めるのは恐ろしくないだろう。自我は、罪のことを思えば恐怖
心を抱くのはきわめて当然だと思っているし、これでよし、とほくそ笑む。そのうえあなたに恥ずかしい
思いをさせるのを何とも思いはしない。あなたが罪を信 じ、信頼しているものと自我は信じて疑わない。
これでは自我の宮はびくともしないわけだ。心の中に罪が有るとあなたが信頼しているとすれば、そこに
有って欲しいという自分の願いを証明しているにすぎない。ただこうしたことが恐れを抱く因になると思
えるだけである。

  自我は単独ではないということを思い出すがいい。その自我は状況しだいで、ものごとに対処するわ
けだが、未知の「敵」、見ることさえできない相 手を恐れている。自我は、あなたがもし心の中を見たら
罪が否応なしに目に付いて、神があなたの目をくらませるから、心の中を見ないようにと怒鳴り散らす。
あなたはこれを信じて、中を見ようとはしない。だが、こんなことは自我の秘密の恐怖ではないし、自我
に仕える身のあなたの恐怖でもない。ただ自我は、本当に耳をふさぎたくなるほど何度も何度も大声で、
そうだと言い張っている。それというのも、表面ではそんなことを立て続けに叫び、必死で言いふらして
はいる が、その確信はないからだ。罪があるという理由で、あなたには内面を見てみるのは怖いと思わせ
ているわけだが、その下にもう一つ恐れていることがあり、これが自我を震え上がらせるのである。

  もし心の中をのぞいてみて罪が見えなかったら、いったいどうなるだろうか。自我はこんな「ぞっと
するような」質問は絶対にしない。こうなると、 そんな質問をする者は自我の全防衛体制にとって重大な
脅威となりすぎ、自我はいかにも仲間どうしだという振りさえしなくなる。きょうだいと心を一つにした
者は、自分が自我と同一だなどという信念にはとらわれなくなっている。聖なる関係とは、あなたが真実、
自分にとってなくてはならない存在であるものと、一つに結ばれるということである。それにあなたの罪に
たいする信念はすでにぐらついているばかりか、心の中をのぞいて罪があるかないか見てみたい、という気
持ちが全くないわけでもない。

  あなたは今のところ部分的に解放感を味わっており、まだ制限されていて不完全にすぎないが、そう
した思いが自分の中に生じたことはたしかだ。完 全に気が狂ってはいないので、自分の狂気の沙汰を見て
みるつもりでいるし、その大部分はきちがいじみていると認めるだろう。あなたは正常さを欠いた心を通り
越して、理性へと信頼の目をむけつつある。ところが自分の理性の知らせることに、こんどは自我が耳をか
さないつもりだ。聖霊の目的は、あなたの心のある部分に受け入れられたのだが、その部分のことを自我は
わかっていない。あなたにも分ってはいなかった。にもかかわらずこの部分、あなたがやっとその存在を
確認した部分は、自らに目を向けることを恐れてはいない。その部分は罪のことなどなにも知らないのであ
る。そうでなければ、どうして聖霊の目的を自らの目的として見る気になれただろうか。

  この心の部分はあなたのきょうだいを見たことがあり、時間が始まってからでも、はっきりその人に見
覚えがあった。そしてその部分はただその人と 一つになり、かつてはそうであったように、また自由にな
ることだけを強く願っている。それに、自由が生まれること、つまりあなたが解放感を受け入れるときがく
るのを待ち望んでいるのだ。そしてあなたはやっと今、聖霊の目的に加わったのは自我ではないとすれば、
それ以外の何かがあるにちがいないと気づくので ある。こんなことは気違い沙汰だとは思わないことだ。
これは自分の理性が教えてくれることだし、すでに習ったことにちゃんと従っているのであるから。

  聖霊の教えには何一つ矛盾はない。これが正気だという証拠。あなたは自我の狂気の沙汰を知覚してい
るとはいえ、それを分かち合うことを選ばなかったので、恐怖を抱かされてはいない。いまだにだまされる
ことが時にはある。しかし気の確かなときには、自我にどんなにどなりつけられても、恐怖で胸が締めつけ
られるような思いをすることはない。なぜなら、あなたが自分の心のなかを見てみたいと「無遠慮」な願い
をもてば、自我が激怒し、贈り物を取り上げ ようとするが、あなたはそんなものはみな自分のほしいもので
はないと悟っているからである。一つ二つ残っているつまらないものがきらめいて、あなたの目を引こうと
しているようだ。けれどもあなたは、そんなものを手に入れるために天国を「売る」つもりなどない。

  こうなったら、自我のほうが恐れをなすのはたしかだ。しかも、自我が耳にするとおびえるようなこと
に、もう一方の部分は、このうえなく心地好い 音色だと感じながら耳をかたむけるし、それは、あなたの
心に自我を最初に入り込ませたときから、もう一度聞きたいと思いこがれていた、その歌だとわかる。自我
の弱点は、もう一方の部分の力の源。もう一つの世界を賛美するその自由の歌は、このもう一方の部分に平
安の希望をもたらすことであろう。というのもその 部分は天国を覚えているし、本当に長いあいだ、自我の
支配下にあった地上から締め出されていた天国が、やっといまそこに現われたとわかるからだ。天国がきた
のは、地上におけるあなたの関係に、安らぎの場を見つけたからである。そして、天国にふさわしいとして
渡されたものを、それ以上、地上にはひきとめることなどできはしない。

  あなたのきょうだいを穏やかな気持ちで見つめ、二人の目の前で自我の弱さが明らかになったことを思
い出すがいい。自我が引き離しておこうとする ものは、出会って一つに結ばれ、その自我を恐れもせずに見
つめている。潔白なるおさなごよ、喜び勇んで確実なるものへとつづく道を歩むがいい。自我が、確かなこ
とは疑うことで見いだせるなどと、ばかげたことを言い張っても、それに足留めされないように。そんなこ
とは何の意味もない。自我がどんなに大声でさ けんでも、あなたには少しも関係ない。無意味なことは、な
んど繰り返そうとどれほど騒ぎ立てようと、有意義にはならない。静かな道が開かれている。その道をよろ
こびながら歩んで行ってほしい、そして確実であるに相違ないことを疑う必要はないのである。


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余談になるけど、大内 博さんも、今月、下記の書籍を出版している。
[太陽出版オンライン書籍]
 ↓  ↓  ↓
終わりなき愛~イエスが語った奇跡の真実 グレンダ・グリーン [著]大内 博 [訳]
最も重要なことは自分自身を知ること。
本書は、教育者であり、著名な肖像画家でもある著者が体験した希有な出来事の記録である。
ある日、イエスが生身の人間と同じくらいリアルにスピリチュアルなヴェールの彼方から現われ、
グレンダはイエスの肖像画を描きはじめる。それとともにイエスは彼の幼少期の出来事、ユダの
裏切りやマグダラのマリアの役割などの真相を明かす。しかし、イエスが本当に伝えたかったこ
とは私たち人間の幸福の可能性についてだった。本書のメッセージは既存の宗教を超え、世界中
で何百万人もの人生を変えたイエスからの贈り物である。』


まだ、大内さんが、出版される前、、、翻訳中のときかな?
大内さんのHPのコメントで、上記の本と、「奇跡のコース」=奇跡の道で書かれて
いること(ワーク)が、重なる部分がある。というような事を語っていた。
”とても素晴らしい出会いだ”と、言うようなことを伝えていたように記憶する。
両方とも、イエスの本と思えば納得である。

大内さんも、「安らぎのワークショップ」を開催しており、その中で、
「奇跡のコース」を取り入れているようだ。
詳しくは、わかりませんが、、、。(汗)

詳しくは、大内 博さんサイトで。→http://www.mfi.or.jp/hiroshi/

また、この【奇跡の道】から、取り上げてみたい内容があれば、転載させて
いただきます。

*  *  *

また、何かあれば書くよ。(笑)

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