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【自立~地球の上から】

 03, 2010 20:02
2010/1/3(日)曇り時々晴れ

IMG_1902.jpg


今日になって気付いた。

年末まで、まだ少し価値観の名残を感じていた。
プログラム解除の間は、何も考えられなくなる。

でも、落ち着くと、また違うところから、何か違う感覚が浮き出る。

「まだ、残ってる・・・」
「もう、本当にいらない。」と大晦日で全てリリース出来ることを望んだ。

年が明け、マインドでは「初詣」などのことが浮かぶ。
でも、どこかマインドでは「いかなくていいの?」という。無視したけど(笑)
昨日も書いたけれど、ハートでは、何処にも行きたくなければ、何もしたくない
のだった。 
必要ならば、必ずサインがあるし、教えてくれるはず。
そう思ってハートに従っていた。

その「いかなくていいの?」はいったい何処からきてるの?ってこと
なんだけど。(汗)
反対になぜ?そんなこと(マインドが)言うの?ってことさ。

ハートから行きたいときは、すでにワクワクしてるはず。

そこに、もう必要のないものが混ざってるってことなんだね。名残として。
確かに、必要な時期もあると感じてきた。まず神々への挨拶、、、確かに
目に見えないところで、どれだけ神々は働いてくれているのだろう。
そう考えるから、私自身、感謝も含め「新年の挨拶は行ったほうがいいんじゃないか」
って思うんだねー。そこでハートと一致していたら特に何もなく、参拝してきたのだけ
ど、ハートと違うから、ちょっと戸惑ったのかもね。
※ 別に誰も、裁かないし、自分に正直に行動したほうが反って喜ぶと思うけど。(笑)

また、「それさえも超えて行こうーーー!!」ってことだったのだと思う。
たぶん、私の中の習性や価値観も含んでいたのかも知れない。
今回のようなものも、これまで手放してきたんだよー。
でも、これも何層にもなってるの。(汗)

ハートに従ったから、また更に【何もなくなった】と感じたのかもしれない。


家族があったころは近くの神社へ行ったけれど、、、、。
ここ、二年間に近くに神社もあるし、日本神界との繋がりがあり、心からの「ご挨拶」
という時もあったけど、殆どは「動かされて」のほうが多かったかも知れない。

「動かされる」というのは、もちろん意図しているわけじゃないので、
その場所に、用事が出来たり、探すものがあったり、、その流れで参拝
するという形になっている。 

ちょっと頭で考えると、不謹慎のように感じるかもしれないけど、実際には
そうじゃない。
私が、自己犠牲でもなく、無理や義務、期待(エゴ)にならないように、ちゃんと
なっているのだ。

私にとっても、目に見えない部分においても、双方で都合が良い。
だから、私もワクワクしたり、一石二鳥だったり、助かったり、喜びや楽しさにも
なっていった。

ちょっと、余談になってしまうけど、、、

たとえば、参拝ひとつ取っても人それぞれの意識によって違う。
ほんとうに、心から「ご挨拶」「祈願」という人も居れば、形式で、とか付き合い
でということもあるかも知れない。それ自体にも良い悪いはない。

日ごろから、常に目に見えないものに対して気配を感じ取りながら、常に
そこから何かを得て生活していれば、自然に感謝も起こると思う。
って言うか、日々が感謝なしでは過ごせなくなるだろうと思う。

そういう状態であれば「動かされる」以外には、常に上との繋がりがあるの
で、日々それだけで十分なように思える。
行きたければ行く。それはそれで、もちろんいいのだけど。

でも、日ごろ目に見えないものから、意識が外れていれば、その機会や出会いを
気付かずに過ごす可能性(感謝の機会を逃す)が大きいのではないだろうか。
もし、そうだとしたら、それはとても残念なことなのかも知れない。なんて思ったり
して。
いまは、”感謝”を通して、多くをもたらされることをやはり実感している。

最初は、目にみえないものに対して、つい忘れてしまいがちになってしまい、
それには、意識・気配を感じ取るという練習が必要な人も中にはいるのかも
知れない。

そう言う意味では、参拝するのも意識付けの為もしくは人間が霊的存在である
という事も含め思い出させてくれる、再認識の良い機会になるのではないかと思う。

だからと言って捉われるということとも違うけど、ポイントではあると思う。
昔、書いたと思うけど、、、
人は、どうしても感謝よりも不満(不足)に意識が向きやすいという性質を知って
いるから。やはり意識していないと、ただ見えてる現実に放浪されてしまいやすい
と経験者として感じる。(笑)


で、話は、戻るけれど、、、。

もう「ご挨拶」さえも超えて行くときなのかもなー。と思った。
これも良い悪いではなく。
もう、”ひとつ”ということは、全てでもあり、その中の個でもあり。

私的に、その部分もどこか【価値観】の意識の一部のように感じた。

そこに、マインドのなんらかの挑戦がある。いや、もしかしたら
自分の深いところの【抵抗】なのかも知れなかった。
その部分を完全に手放すことへの恐れだったかも知れない。
【価値観】を無くすことに対しての。
たしかに深い古い、無くなったと思ったら、ひょっこり顔を出す。

頭では分かっている。

でも、それさえも全て【神に委ねる】ということだ。
ここまでくると、もう自分じゃない。自分じゃないことが分かってくる。
自然に溶けていくのを、委ねるだけだった。

年が明け、ハートに従い、特別どこかに出かけるでもなく、人に会うわけ
でもなく。
そして、今日になって、またさらに【何もなくなっている】ことに気付いた。

ちょっと、地球で起こっていることを、ちょっぴり離れたところで観察して
いる感じ、言葉で表現するとそんな感じに近いかもしれない。
お正月といっても、参加しているのでもなく、ただ見てる。そこで特に
喜びや、新たなとか、ブログで【新年のごあいさつ】は書いたのだけど(笑)
個人的には、どこか淡々としてて、期待とか、恐れ、不安も何もない。

そんな自分に「何だろう?」とさえ思ったほどだ。

でも、今日になり、リリースするものはしたんだな。という感じがした。

「これでいいんだー。」

ようやっと、本当にようやく、この域に入ってきた。という感じがした。
とにかく、今回の神社の件ばかりじゃない。全て超えていく。

 ↓ 09/7/22【大いなる存在からのメッセージ】
『何者かでいようとする事もなければ、何かであろうとする必要もない。』
『何かしようとするものでもなく、、、
 何者かでもなく、、、、
 何もする必要がなくなったとき、、、役割が見えてくるだろう、、、、。』


これは、想像以上に深かった。
今日の段階で、完全に、なのかは自分でも分からない。
また、”何か”が戻ってくるのかどうかも。※価値観、信念体系など

ほんとうに、分かるか分からない程度に進んでいるようだ。
気付くと、先日あったものが消えているという感じ。

*  *  *

今日から、NHKで【龍馬伝】が始まる。
私は、知ってのとおり歴史にはてんで弱かった。いや、今もよう覚えられない。
でも、昨年の秋口から歴史物の動画などから、少しずつ名を残した人物が、
ちょっとだけ分かってきた。※「篤姫」とか「仁」とか。
映像を通してだけど、龍馬が人から愛されるのが分かるな。と、どの龍馬を
演ずる人を通しても思う。

私よりも、殆どの人が詳しいに違いない人物なので、あえて語ること
も恐縮ではあるが、、、(笑)

昨夜、【龍馬伝】の始まりにあたり、龍馬という人物が、なぜ、あの
短い生涯の中で、実際に活躍した期間というのは5年ほどだったらしいが、
人から愛され、偉業を成し遂げられたのかということを脳科学のほうから
も、検証していた。
残された資料の中からの分析になるし、百人いれば百人の龍馬がいると言わ
れる人物だけど、昨日の番組で、興味を引いたのは、確かに、まず自分から
壁を造らない人、ハートがオープンな人、自分の弱さもちゃんと見せて、且つ
ユーモアをもち、自由な人というのに加えて、分析力もあっただろうし、
先見の目もあったのだろう。

でも私が「あー。」と納得したことは、

常に、自分を【客観視】できていた人。ということだった。

龍馬が常に見ていた【世界地図】というものが残っていて、世界からみた
自分、世界全体を見ながら、自分は何をするべきなのか、何をしたいのか
という事を考えて行動していたらしい。

【意識を拡大】して、多くの【ドラマ】からも1歩引いてみてたからこそ
偉業もなすことも出来、通常では会えるはずもない人物に会い、大物さえ
も動かすことが出来たのだろうと感じた。もちろん人柄もあるけれど。

なるほどなー。きっと、高次元から来たんだろー。なんて思ったりして。(笑)

あくまでもTVで見ているかぎりだけど、分からないことは「分からん!」
と言い、正直な気持ちをまっすぐに(おちゃめ)に伝える所が、共感も
もてるし、私も好きなところだ。

今日から、福山雅治の【龍馬さん】は、どう演じられるのか、もだけど、
その中から何を【感じる】ことが出来るのかが、楽しみだ。

*  *  *


【転載】1月のアカシックレコード へ

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