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「自分自身と恋をする」-3

 12, 2008 19:29
★↓本日10/12(日)の始めはこちらから。
「自分自身と恋をする」-1
「自分自身と恋をする」-2から

IMG_1034.jpg

*  *  *
 
でも、今回の休日で思い出させてくれたのは、特に「質」に関してだった。
それが、なんだかポイントだったように感じる。

脱会後に私は、良かれと思ってやっていた事が、ものの見事に
加害者であり被害者であり、罪をなくすためだったはずが、罪深さを感じていた。
そして、自分を全否定しなければならなかった。
強制されたわけじゃないけど、家族一人ひとりに頭を下げる結果になった。
認めなきゃいけないと感じたからに過ぎないし、そのままでは
前に進めないと感じていたから。

その時に出会った方から、
「でも、そんな自分でよかったでしょ?」と言われた。
「命がけで、家族や先祖の為に(行動)出来た自分にと言う意味で。」

確かに、人生でやれる事はやった。結果間違っていようと自分は、もういつ
死んだっていい。と思っていたことだけど。。。
言われて違う扉が「すーっ」と開いた感じだった。見方を変えてくれた。

表面に現れたことではなく、
個人的な、人間としての「生き方」だけの事だった。

脱会後、身内の家族の愛を感じ、いざ我が家へ戻った。※別の場所にいた。
すると、更に試練が続いていた。
離婚を考えるようになり、最後まで努力はするけど、もうお互いにこのままでは
良くないと自分でも理解し始めていた。

その背中を押すように、義母が言った。
「あなたは、一生この家で償って生きなさい。」

この言葉に「ぷつん」っと張ってた糸が切れた。
「冗談じゃない」(爆)

それから、離婚に対しても一切の負い目も持たず、誰が何を言おう
と決心した。

そして、「悲劇のヒロインには、絶対なりたくない」と「犠牲者」にはならない
と思っていた。
実際に、この時期ひとり言のように言っていた。
↑たぶん、この時に選択したんだろう。

それが、その後にどんな失敗があろうと、再度、負け犬と感じようと
自分を支えてきたことかも知れない。
※あくまでもベースにあった。と言う話。
 その後も、まだまだ気付かず壁当たってたから。(笑)

自分の求めていたものは「物」ではなく「質」だった。←後で知った。
だから、その間には、自分に対してまだまだ妥協してきた。

それは、念願の家や車などを買ったときに感じていたときもあった。
あんなに欲しいと思っていたものが手に入ったとき。
それは、最初は良いのだけど、その内に「何か違う」と感じてしまう。
満たされない思い。
外側に求めていたからだと、今は理解できるけど、当時は、まだそれが何なのか
まだ知らなかった。

その後に出会った本や、出合った人からも更に多くを学んだことは間違いなかった。
少しずつ拡大していったのだろうと思う。

ただひたすら、自然と内観(感)、認める、受け入れるなどを続けていた私は、
他の人に聞き返すことをしていない事に気付いた。
最初の頃blogに書いていたかも知れない。

「どうして?」「なぜ?」
一言でいえば、ええカッコしいであったかも知れないし(裏返せばコンプレックス)
自分がない(優柔不断)にも繋がっていたかも知れない。

それは、チャネリングを受けるようになってから気付いた。
家に帰って、あれ?これってどういう事?と思うことが時々あった。
そして自分は聞き返すことをあまりして来なかったことに気付いた。

それから、チャネリングの時にメモを取るようにしていったのが始まりだったかも。

いつの間にか、子供から「カッコいいお母さん」って言われるようになりたいな。
って思っていた。(笑)

カッコ悪い姿も多く見せてきたけど、「カッコイイ」ってどんな?を
客観的にシュミレーションする。
すると、自分で自ずと選択に対しての答えが見えるときがある。

それを行動するときには、勇気が必要な事もあるし、誰も知らない。
子供たちだって知らない。
自分だけのシュミレーション。
反対に自分の親だったらどうだろう?上司なら?
どんな人がカッコイイと感じる?

そう問いかけて、自分の行動を合せることも結果的には、自分を愛せる
要素に繋がっていたことに気付いた。

やり方は人それぞれなのだと思う。自分の出来ない事は、ある人には簡単なことで。

かと言って、思っているだけで行動にしなければ、やらない事と同じで。

変化する事を許可したら、選択したら。。。
人それぞれ今生で超えていかなければならない問題や試練などがやってくる。
超えられるまで。
この試練は、本当に愛だと、自分への帰還の道のりだったと改めて思う。
いずれは、皆辿り着くのだけど。

私の魂の克服や目的に、組み込まれていたことは、いつだかの
全て失ったあとの時かな?チャネリングのメッセージでもらっていたように思う。

それを超えるごとに、自分を愛せるようになり、また一つが線で結ばれて
いくのかな?と思えた。

多分、自分に向き合うことから逃げていたら、決してこの「自分を愛する」
過程には辿りつけなかったように思う。

「自分には価値がある」言葉で言うことは簡単だけど、それを実感するまで
体験するのって途方もないくらいの地道な作業が必要だった。

そうそ、今は私のような時間や体験などしなくても、ツールは確かに存在するかも。

でも、「急がば回れ」はある意味真実のようにも思える。

この前の何かの情報に書かれていたと記憶する。
今はプロセスの流れの速さは10倍らしい。
私が8年かけてきたことが、8ヶ月かも。えらい速さだ。
8ヶ月なら8週間?

今は、恩恵のときだね。

*  *  *

そんな「長い旅」にも、昨日でなんとなくひと段落かな?と思えた。

一昨日、カウンセラーさんに簡単な文章を送った。
あくまでも土台、参考までにと言う感じで。

こうして、自分を振り返ったときに、逃げずに来れたこと。
自分の失敗や欠点・エゴなど、そして自分の設定したユニークなプロセスのあり方も
全部含めて、微笑むことが出来た。
※私独自のプロセスのあり方は、このBlogに書くようになり、
  大変だけど、私らしくて気に入っていた。自分で決めているから当たり前なんだろう
  けど。(笑)

一時の感傷ではなく「自分自身に恋をする」ってこう言う事なのか。って思えた。

すべて丸ごと「好き~!」って思えるし湧き上がってきた。
それは、言葉で表現が出来ない。

先月までは、まだ自分のエゴに対して受け入れられなかった自分
もいたのに、そう格闘していたという感じで。
受け入れようとしても、これでもかって位に見せ付けられる。

「自分の物ではない」→「私は在る」

に至ってからは更に「ぼ~っ」としていた日々だけど、

それが、【自分自身と恋に落ちる】に変化した。

なんと長かったことだろう。。。
肉体を持って、いままでの転生分の開放はやっぱり重かった。(笑)

ある程度は自分で設定したことだと思うけど、今から思うと2000年の大きな出来事から
更に、多くの人を通して、上の存在たちの導きやサポートを受け取ってきていたのだとわかった。
どうするのかは、自分の自由意思に任されていたわけだけど。

結果、ただ手放して楽になるって話だけでなく、「自分を愛することになる」という事
なのだと感じた。

そして更に本番はそこからなんだね。
だって目的は奉仕であり、何のために生まれてきたのか。だもんね。

「これだけやって来たんだ~@@」って言いたい訳ではなく、
何事も、色々な方法があり、一歩一歩ではないか。

その一歩が結果、自分を愛することに繋がっていたのを知った。ってことでした。

あらら、またまた長くなってしまったね。
こんなに出てくるとは思わなかった。

*  *  *


↓以下の内容を引っ張ってきました。
ミッドサマー・ニュー・エナジー・カンファレンス 2006
アダマス セント ジャーメイン チャネル(P3~)


● 「スタンダードとしての道」は、「自己」に始まります。から「1」を抜粋。

1. まず、自分自身を愛することです。自分自身を愛すのを学んでいなければ、どうやって他の人たちの役に立てるでしょうか、手助けができるでしょうか。あなたが古いオーダーを去るように言われて以来、孤独のなかであなたが学んできたことの多くが、自己を愛するのを見出すことでした。愛を見出すためには、闇を見出さなければなりませんでした。拒絶を、憎しみを、孤独を見出さねばなりませんでした。そうすることで、自分自身に本当に恋に落ちるのがどんなものかを知りながら、ここに戻ることができるからです。

体現シリーズ シャウド9
魂の自由Ⅳ セント・ジャーメインとトバイアス特集(P11-14)


私はクリスタルにとらわれている時、自分のあらゆる部分を愛することを学ばなければなりませんでした。ちなみに、他人を愛するのは簡単なことです。外側にあるものを愛するのは簡単です。私は自分自身を愛することが、何よりも困難なことであるというのが、分かりました。しかし、それが唯一の出口であるというのも知っていました。私は自分がしたあらゆることを、愛さなければなりませんでした。私は自分についてのあらゆることを、愛さなければならなかったのです。
自分自身を愛の眼差しで見るというのは、時に難しいことです。自分自身に愛を与えるのは、居心地の悪い時があります。あなたは、自分自身を愛するべきではない、という信念体系の中でしつけられてきたからです。(セント・ジャーメイン)



「自分自身と恋をする」-4へ続く




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