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【強いエネルギー&解放の残り&わかっていても出来ないと感じる時】By saraさん

 29, 2012 23:55
2012/1/29(曇りのち雪)




寒いですね。といっても、旭川ほどではないですけどね。
東京のほうでも先日、雪が降ったみたいですね。

最近は忙しい毎日を過ごしています。
朝~午後は新しいクラス、一度家に戻り、夜は派遣先の研修という感じです。

どんな生活になるのかと思っていたけれど、考えるより慣れろって話で、少し体もなれてきたかもしれません。
新しい同じクラスの人たちとも、慣れつつあります。なんかいいクラスになるんじゃないかな?前は女子ばっかりでしたが、Webクリエーターのクラスとあって、男子のほうが多いのかもしれないな。前職も経験もさまざまです。年齢は、私が年長のようです。汗。やはりクリエーター色がみなさん強い感じですね。

日々、いろいろあると言えばあるのだけど、どうまとめていいのやら。という感じです。


【強いエネルギー】

頭の中のジクジクする痛み(頭蓋骨内の工事)も、ここ最近は多いです。
けっこうキツイです。エネルギーとの関係もあるのか、ないのか、、、。


本当に最近はエネルギーが強いようですよ。
すごく眠気を感じている方もいると思います。
saraさんも異常に眠いといってました。私もそういう日があります。

ジャーちゃん(セント・ジャーメイン)も言っておりましたが、

J:「今はエネルギーが激しいので、睡眠は必要ですよ。」

ということでしたので、身体の声を聞いて、できる限り休みましょう。


「最近、肉体も重く感じてねー。」

J:「二元性がなくなっていくと、肉体は重く感じるんですよ。」

「そうなの?ジャーちゃんもそうだった?」

J:「そうですよ。」

J:「以前(私の2008年~2010年あたり?)は、あなたは、まだ二元性が残っていたので、局と局を体験してきたでしょ?すごく軽く感じたり、ある日は重く感じたり。」

「うん、うん。そうそう。軽い~~~と思っていたら、ある日は”3次元”に戻ってきちゃった~。みたいにね。笑。※ブログにも書いたことがある。」

「へ~~~~。そうだったのか。ってことは、これからは、ずっと重いのを感じていかなきゃならないのかな~。汗。yohamと統合されたら、どう感じるのかな?それはわからないな。」



【2010年貧困生活の時の解放】

私は、今月の気づき(解放)で、改めて2010年の時のことを振り返りました。

というのも、自分の中に、まだ先を心配する自分がいてね。
それはわかっていたのだけど、新しい生活のパターンになれるまでが、ちょっと大変で、じっくり感じる時間がもてませんでした。

でも、やはり”ある”ものはあるので、今日こそはじっくり感じつくさないとー。と思っていた時に、saraさんから電話が来ました。

「今ねー、浮上してきているアスペクトと向き合おうとしていたところなのさ。やっぱり、まだあるんだよね。
でもね、この三次元の世界に生きていて、先の生活費やら、考えていくのは必要なことでしょ?それじゃなきゃ、収入と支出がわからなくては計画できないんだから。でも、これってどうなのかな~?」

J:「先のことを考えて生活費などを計算したりすることはいいんですよ。でも、それに囚われないことです。」

「あ、、そうか。私、やっぱ囚われていたのかもな。なかなか抜けなかったもん。」

J:「そう、気づくのがちょっと遅かったですねっ!」

「いやー。わかってたさ。感じていたよ。」
←言われたくない。笑。

ま、そんなこともありました。それは、もう解放しました。
また浮上してきたら、その都度解放していく事でいいらしいです。

そしてその時に、saraさんに言ったことがあります。

「ねぇ、2010年のやってた自我の解放とか、信念体系を落とすとか、それはわかるよ。でも、確かに手放したものもあるけど、新たに作ったトラウマだってあったってことじゃん。これって、どういうこと?一方で手放し、でも、いらないトラウマもできたって、プラスマイナスどっち?って感じ~~!なんか複雑な心境でしょ!!笑。」

sara:「確かにそうだよね~~!!」

J:「確かにそうなんだけども、でも、そのことによって、より【深くを見ること】が出来るようになったんですよ。」

「えっ?そういうことだったの?あそこまでしなきゃ、より深い部分まで見れないってことなの?」

sara:「え~~、そんなのイヤだな~~~。またアスペクト出てきたわ。笑。でも、いくら深く見れるようになるにしても、あそこまで(私の体験)のような思いはしたくないよ~。」

※最近、「いやだ、いやだ。」と思うのも自分のアスペクト(側面)ですよ。とジャーちゃんが教えてくれている。
そんな事言ってたら、シャウドに書いてあるとおり、殆どは”自分のことではない”ってことになるんだけど。笑。


アスペクト=一つの過去世や現世のできた(側面)とは限らず、殆どが多くの生涯が複雑にからんで出来上がった自分の側面(感情、概念、意識などなど)の部分って感じ。でも、本来の自分ではない。

saraさんも、私ほどの貧困ではないにしろ、厳しい過程は通ってきたので尚更「もう、そんな思いはしたくはない」というのが出てくる。先日の私と同じなんだけどね。でも、あって当たり前なんですけどねー。

J:「あなたたちは、どうしてあの体験をしたのかわかってますか?」

「うん。これから、同じような体験をした人とかも、クライアントさんで来るからでしょう?教師としてファシリテーターとしても、あの体験を通る必要があったからでしょ?」

J:「その通りですよ。そのような人たちが、あなたたちのように理解してくれる人を求めているんですよ。指針がほしいのですよ。」

参考:ジャーちゃんのシャウド
⇒2008/10/25「帰還シリーズ」シャウド3【全文】から抜粋
”あなた方のなかで、こう訊く人がいました。待ちきれずにこう言った人たちが。「ではトバイアス、セント・ジャーメイン、あなたの戸口にやって来る人たちがいる、と言いました。彼らがあなたのもとにやって来るだろう、と。私のもとにやって来る人たちというのはどこにいるのですか?」 私たちは、彼らに備えておいてくださいと言っておきます。彼らはやって来るからです。足もとからカーペットを引き抜かれたように感じた人たち、決してそんな生き方はしたくないと思った悪夢のなかを生きているように感じている人たち。彼らはあなたのもとへやって来るでしょう。”


「それは分かっているんだけどね~~。シャウドにも書いてあったし。だから体験に後悔とかは全くないよ。でも、まだ、あの頃のことを深く感じなきゃならないな~って感じてさ。なんか、やっぱり理解もしていたし、後悔もないけど、きつかったのは確かだったもんな。それは認める。」

J:「あなたは今、解放しましたよっ!」

「え?」

J:「あなたは、自分で”大丈夫、大丈夫。”って思っていたんですよ。」

「うん、そうだね。あの時ってそう思わなかったら生きていけなかった。全部が苦しいと感じていたわけじゃないけど(中心にいれば安定はしていたから)でも、今だからわかるけど、自分の気持ちをある意味ごまかしていたかも。」

J:「そう。」

「そうか、でも、あれから2年経ってる。でもその解放が今なんだね。今回の生活面で、残っていたものが浮き上がってきたんだ。」

yoham(真の自己)にしたら、残っているものは出してしまいましょ。って感じかな。ちゃんと解放するものは、必要な時に出てくるんだよね。気づくかどうかは自分次第だけど。

でも、2010年の貧困体験のことを、はっきり確認したことは無かったけれど、yohamは、やっぱり今後の為に準備していたプロセスであり、また自分の解放や深くみれるように準備していた内容だったことを知ることが出来た。


【分かってはいるけど、できない】

以前にもブログで書いてきたような内容なんだけど、昨夜、ふっとあることから、このことを思い出しました。

人は、時々「わかっちゃいるけど、できない。」というようなことがあります。

”分かっている”という部分については、それが内側の声かもしれないし、過去からの体験からの場合もあるでしょう。でも、それって、理屈なしに、やっぱり自分では「本当は、こうしたほうがいいに決まっている」というような感じで知っているんじゃないかと感じるんです。
でも、それが出てきたときに、深くこのことについて感じてみる人ってどのくらいいるのかな~?と感じました。

それで、今日、ジャーちゃんに聞いてみました。

J:「わかってはいるけど、出来ない。というのが、【解放】である。ということに気づかない人が多いんですよ。」

「あ~~、そうか。そもそも”解放”だってことが分からないのか。”分かってはいる”って部分は、ある意味、内側からの声のように感じるんだけどな~。」

sara「うん。でもね、多くの人は、ここで、”面倒”とか”忘れる”とか”抵抗(イヤだ)”と感じるか”囚われる”んだよ。結果的に抜け出せないんだって。」

「そうだね~。確かに。」

sara:「私も忘れちゃうこともあったよ。で、いやだいやだ。って抵抗することもあったりね。」

「うん。それもわかるけど。」

J:「それに気づいているというのは、”意識的”にいなきゃできないんですよ。」

「うん。そうかも。そうやって、流されちゃうんじゃない?」

J:「流れにまかせることも必要なときもあるんですよ。」

「そうなの?」

J:「流されることによって、”流れにまかせても、どうにもならない事もあるんだな”って分かる時が来る。」

「あ、そうか。その分かった時に”気づき”が起こるものね。」


それも、また”体験”だったな。って思って。自分もそんな体験も過去にしてきたな。ということも思い出しました。よい悪いもなく、ただ体験を通して腑に落としたり、理解することもあったからね。

ま、いろいろ体験してわかってきたからこそ、”わかってはいるけど、、、、”と言う状況が出てきたときは、引き伸ばしても、結局変わらないことを知ってきたので、そういうときは、とっとと、”わかってるなら、行動しちゃいましょ。”というように自分が変化してきたんだな。と言うことを理解しました。



今日は、そんな感じです。

では、また。

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