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【転載】ソアラ・サーフリポート for 2011 (1)

 11, 2011 22:56
2011/1/11(火)晴れ


今日は、とりあえず、この転載メッセージだけ。
あとから、じっくり読もうっと。
翻訳に感謝!

[mixi]Arrived Energy On Earthより

「ソアラ・サーフリポート for 2011 (1)」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=59270985&comm_id=1730147
Solara


◇ 新しい世界に現れ出る  
記念すべき年,2011年にようこそ!2011年は、新しいMUAあるいはメジャーな進化のサイクルをもたらす3年がかりのフェーズにおいて最後の年になります。


◇ 2010年を振り返って  
 2010年は、先例のないスケールで徹底的な変容を経験する…という、長く待たれてきた機会を授けた素晴らしい年でした。私たちの多くは、自分の古いコーディネートから自由の身にされました。それが古いパラダイムから自分を引き離す助けになりました。昨秋10月のバリ島での11:11,第9ゲートのアクティベーションの間に、私たちはついに新しいコーディネートと完全に整列しました。そして私たちの多くが本物たる者として現れ出るようになりました。本物たる者たちが世界中に進みだしたことで、それが巨大な引き金をセットしました。まるでそれは四方八方に倒れこむドミノ倒しのように、最も遠い地平線の遥か向こうにまで影響を及ぼし、その行き先にあるすべてを変えました。

 それ以来、あらゆるレベルにおける調整を介して本物たる者のレゾナンスをアンカリングすることが必要になってきました。まず第1に私たちは、自分の内なる存在を再調整しなければなりませんでした。古い振る舞い,制限されたパターン,昔からの恐れ,自分の内側に長い間ずっと隠されてきた感情的なものなどの残りカスを包埋していたポケットを空けなければなりませんでした。それらは、自分の内側にあるなどとは思いもしなかったものであったため、私たちは自分の最も奥深いコアレベルにまで手を伸ばしたことになります。そうして私たちは、以前よりもずっと無限に自由になりました。

 2010年の間、私たちは自分の周りのあらゆるものから引き離されているとますます感じるようになりました。時には自分自身から切り離されているとさえ感じることもありました。鏡をのぞいてみて、そこに映っている自分自身に見覚えを感じないことも時折あったことでしょう。私たちはとても変わりました。私たちは数え切れないほどのヌルゾーンを旅してきました。けれどもそれらには、私たちを打ちのめしてしまうだけの力はもはやありませんでした。私たちは果敢に最上級の大嵐を乗り切ってきました。その嵐がどれほど激しいものだったのか気にすることもなしに。私たちは後ろを振り返り、自分の古い生き方へと後戻りできる橋が焼かれている~その長い火のラインを目にしました。時には、自分が渡っている橋が足元で燃えていることもありました。しかしそれは私たちを邪魔したわけではありません。私たちはただ単に自分のペースを速め、新しい・本当の方向へと向かっていくだけだったからです。

 私たちはブラックホールというスパイラルを描く遠心分離機~その中心を抜ける旅をしていました。そこであらゆるものが私たちから剥ぎ取られました。自分に関して自分で好きだった特性すら、剥ぎ取られてしまうこともありました。それは時にはとても辛いことでした。自分のことを脆く、透けて見えてしまう、無防備な存在だと感じさせられることもあったでしょう。けれどもそれが、私たちをもっと本物にし、リアルにするという仕事をしてきたのです。それが私たちをまったく新しい世界へと引きこんできたのです。

 そうして私たちの内なるコアたる存在が真実・真正さのレゾナンスにますます整列されたため、私たちの外側の景色は数え切れない方法で変容し始めました。これは最初のうちは微妙な感じでした。アパートの一室から森へと芝居の舞台セットをゆっくりと変えるような感じでした。椅子が消えて、その位置に一本の木が現れ、カチカチ鳴っていた時計の音は鳥の歌声に取り替えられました。天上はゆっくりと星空にモーフィングしました。町のくすんだ暗い色は、フレッシュな新しい生命の鮮やかな色々に変容を始めました。
 変化はとても巨大なものになりました。遥か遠くにまで及び、人生が変わるような。そして2010年を終える頃には私たちは新しい人物~本物たる者になっていました。私たちは既知の古いマップから解放されていました。そうして私たちは、まったく新しい世界の最初の味わいを経験しました。そう、こここそ、2011年という素晴らしい年を迎えた私たちが今居るところです。


◇ 既知のマップから外れる  
 2010年、私たちは自分の古い光景に自分を留めていたフックから外され始めました。そうなることが私たちの意図や望みであったかどうかに関わらず、これは起きました。私たちの古い生活はますます、意味のない,遠いところにあるもののように感じる気持ちが高まってきました。馴れ親しんでいた行いも、もはや成し遂げる必要のないものとなった人も大勢いるはずです。好物だった食べ物が食べられなくなったり、お気に入りのレストランや店が店じまいしたりしました。親友が去ったり、仕事を失ったり、関係が突然終わることもありました。古い物事のやり方も以前と同じ効果を発することはなくなりました。中には、自分が知っていたのとは大きく異なった新しい場所に移った人もいるでしょう。

 2011年、この過去からの分離のフィーリングは指数的に高まりそうです。実際、既知のものである古いマップは両手の中で崩れてしまいそうになっています。また、過去の記憶の多くが消されていくことにもなるでしょう。たくさんの期限切れの要素や古くからの状況が私たちの生活からなくなっていくだけでなく、自分の生活の中で本当に心地よい要素のいくつかも私たちから去ることになるでしょう。私たちの多くが、新しい場所に引き寄せられているのに気付くでしょう。それは自分が知っていた環境とは大きく異なったエリアでしょう。私たちの周囲の人々にも大きな転換があるでしょう。これは既に起き始めています。

 1年を通して、私たちの外側の光景は何の警告もなしに起きる予想外の変化を受けることになるでしょう。そのような変化には、夏のオーストラリアに雪が降ったりインドが酷く寒くなるなど、この惑星に今起きている急激な気候的な変化もあるでしょうし、政治や経済,社会的な大変動によって生じたショッキングな出来事や劇的な地球の変化によって引き起こされるものもあるでしょう。こうした変化は古いエネルギーを一掃するために必要なことです。2011年は、二元性の世界,そして私たちの回りすべてのヌルゾーンが測り知れないシフトをし、そうして、真実・真正さに基づいた新しい世界が、二元性の灰の残り火から舞い上がる不死鳥のように誕生する年になります。

 私たちが二元性の古いパラダイムから解放され、ワンネスという新しいパラダイムに入りつつあるため、このようなことが起きています。このパラダイムにおけるシフトは、穏やかに手放すことでも起きますが、古い状況から押し出されていると私たちが感じる時の強制的な押し出しでも生じます。こうしたシフトがどのように生じるのかが重要なのではありません。ただ私たちはこうしたことを経験することになるだけです。それを回避する方法はありませんし、回避する必要もありません。なぜならこれこそ最も必要とされることだからです。私たち皆は二元性からワンネスへのこの重大な転換期にここにいることを選んでいます。そして私たち皆にはこのプロセスにおいて役割があります。

 この間にもずっと、時代遅れなスピリチュアルな概念も消えていっています。たとえばエンライトメントやアセンションにおける古い信条です。つまり、「私たちがエンライトメントを得れば、他に何もすることがない。その時こそアセンションがくる時だ。私たちはピックアップされて、どこかもっとよい、もっと容易な星へと連れて行かれることになる。」などといった考え方です。「私たちは既にエンライトメントを得ていて、何か外側の力によって救い出されるつもりも私たちにはないので、そのようなことは起りえない。自分自身の解放に対する責任は自分にあるのだ。」ということを私たちがついに理解した時、真実ではない何かに希望を寄せている人たちのために、古い信条は粉々にされることになるでしょう。そのため、そのような古い信条を信じていた人たちは突然、「必要とされていることは物質界から逃げ出すことではなく、拡大された今ここに全身全霊で存在することなのだ。自分のいるところがどこであろうと、外側の世界で何が起きていようと、本物たる者であることなのだ。」という認識で自分の日常生活の現実に直面させられることになります。

 古い二元性の世界がますますバラバラになっていくことで、私たちはまず新しい光景に入ります。その時、何か間違ったものを持っているという感覚を覚えることになるかもしれません。けれどもそれは、その新しい世界が私たちが予想していたものとはずっと異なっているから生じる感覚です。私たちが携えているものは古い光景のために創られてきたものだからです。しかし、死にかけている二元性のパラダイムに自分自身を結び付けているフックを外せば、私たちはまったく新しい世界に現れ出でることになります。新しい世界で私たちが歩むその一歩一歩が新しいマップをクリアなものにします。サーフィンの達人でさえ、新しいマップの上でチャレンジングなサーフィンの時間を過ごしています。ただ単に、マスタリーの頂点に至ったと思ったとき、私たちは新しいマップ上に追いやられ、そこに広大な世界があることがわかるだけなのです。目の前にある学習曲線は巨大で遥か遠くまで伸びています。つまり、私たちがまだ知らないことを認めるという真のマスタリーへと私たちは踏み出すことになるのです。そして同時に私たちは、自分の内側の深いところにいつもある“本当にわかっていること”を信頼する時間でもあるのです。

 私たちが本物たる者の新しい反応でもって古い状況に対処することを学ぶこと~これが重要なことになります。中には新しい然るべきところに移っても自分を躊躇わせてきた古い制限的なパターンを捨てることができない人もいるでしょう。そうであれば、予期せぬものごとや、自分の新しいリアリティを完全に受け容れることに対してオープンになっていることにはなりません。場所は新しくなっても、その人たちは違うわけです。そのため、そこで起きるべきことを一切予想することなしに私たちは自分の新しい世界に対して広くオープンになっている必要があります。

 2011年、私たちは本物たる者として自分自身をまったくリクリエートするための…そして本当に生きたい人生の類を確実に生じさせるための…絶好の機会を授けられます。本物たる者としての本当の人生を生み出すチャンスです。私たちはまったく白紙のキャンバスです。だからといってそれに気後れする必要はありません。そのチャンスは刺激的で私たちをインスパイアするものになるでしょう。


◇ 新しい世界に現れ出でる  
 私たちが新しい世界を初めて味わう時、その世界は穏やかに私たちを迎え入れてくれるでしょう。これは2010年の10月にバリ島で第9ゲートのアクティベーションをした私たちに起きたことです。その時私たちは新しい世界へのドアを開けました。その後、私たちが新しい世界により深く踏み込む時、私たちは古いものが大いに剥ぎ取られていく経験をします。それはブラックホールを通り抜けるのと非常に良く似ています。この新しい世界への潜入は穏やかなものではありません。それは時空のバリアを通り抜けるよう推進されるようです。そうして私たちが持っていた既知のマップは放り投げられます。

 そうして新しい世界の岸辺に着いたときには、私たちはショック状態になっています。というのは、新しい世界は素晴らしい場所でもなければ、私たちが居たいと思うような場所でもないからです。そして、まったく違った環境にショックを受け、自分が身につけてきた知識やスキルを使う方法を用いることのできるところを記した~どこに何があるのかを記した慣れ親しんだ古いマップもないことにショックを受けるわけです。

 最初のうち、新しい世界にはアンカリングポイントが殆どありません。けれどもそれが時として、全然馴染みのないテリトリーに居る時に、馴染みのある小さな安全地帯をつくる助けになります。私たちは朝食を作ったり洗濯をするといった日常生活のちょっとしたことに満足を見い出すことができます。私たちには自分にとって個人的に神聖なアイテムでちょっとしたスペースをつくることもできます。そうしたちょっとしたことから始めているうちに、新しい生活が進展していくにつれ、私たちは新しい友達を作り始めたり、お気に入りのレストランを見つけたり、自分の新しい環境を育む自分自身と整列するようになります。

 新しい世界では私たちの振る舞いも変わります。私たちは以前には決してしなかったことを始めたりします。私個人の例を挙げれば、私はこれまでの生涯、腕時計をいつもつけているようなことはしませんでした。せいぜい飛行機で旅行をする時にひとつ身につけるだけでした。私は今ペルーに住んでいます。そこでは腕時計は必要ないと思う人も多いでしょうが私はいつも腕時計をつけているようになりました。そして、それがとっても役に立つということを発見しました。

 新しい世界に入ったらすぐに、とても用心深くなる必要があります。自動的な反応,リアクションによって古い世界に落ちてしまわないようにするためです。旧来の自動的な反応をしていれば、新しい世界に完全に住み着くことの妨げになります。私たちは古い仮定や判断からものごとを見るのを止めねばなりません。それらはもう真実ではないからです。

 中には以前とはまったく同じもののない、まったく新しい環境に身体的に移っている人もいるでしょう。そこに着いたときにすぐにピンと来なくても驚かないでください。新しい世界はまったく新しいレベルの調整,スキルを必要とするため、最初のうちは不快に感じられることもあるでしょう。けれどもそれこそ私たちが押し込まれた非常に急な学習曲線なのです。そして、以前と同じ方法では殆ど何もすることができないほど新しい世界が違ったものであれば、それが非常に役立つことにもなるのです。新しい世界では、違った言語を話すことを要求されるかもしれません。とても違う文化に引き寄せられたり、食べなれている食べ物を見つけることが難しいところに引き寄せられたりすることになるかもしれません。そのように違った環境でならば、古いパターンを維持することは不可能になるため、古いパターンから自分が抜け出すことをよりいっそう簡単にするわけです。

 移住をしない人たちは、新しいロケーションに移動することによってではなく、自分が今居るロケーションで自分の生活を変えることで自分の環境を変えることになります。私たちは皆、自分の生き方を変える機会を授けられることになります。職を失ったり、天災に遭ったり、関係が終わったりなど、以前には不幸な状況として見なされたようなことによって、環境を変えることになる人もいるでしょう。けれどもそのような一見不幸な出来事も、ただ単に古いものへのドアを閉ざし、もっと人生を充実させるための真新しいドアを開けるチャンスを私たちに与えてくれているのです。

 時にはこれが、自分が得た古いマスタリーを失うことになってしまうのでは?という恐れをもたげさせることになるかもしれません。そして、そうなることは間違いありません。それでも私たちにはまったく新しいエリアでマスタリーを高める機会があります。必要な情報をピックアップして、助けになる仲間を作り、その瞬間に必要なことを学ぶこと~それは継続的に迷宮の中で宝探しをしているような感じがするものかもしれません。けれども、もし私たちがダイレクトに直線的に旅すれば、こうした必要とされる経験を逃してしまうことになるでしょう。

 広くオープンになっている必要があるということを私たちは承知していますが、時にはこれが中身のない概念になることもあります。その時私たちはそれを実践していないことになるわけですが、私の場合をお話しましょう。新しいこと,予想外のものごと,私の今フォーとゾーンを遥かに超えるよう私を引っ張るものに対しての私のオープンさは、毎日テストされているかのようです。私は自分が十分にオープンになっていると思っているのですが、そうではない自分を絶えず見つけることになっているわけです。これは本当に良いレッスンです。たとえば私が11月の初めにペルーに引っ越したとき以来ずっと、私は生活する野のふさわしい家を探しています。最初の数週間はホテルで過ごし、一時的な賃貸住宅をみつけました。けれどもその家の家主は1週間で戻ってきてしまい、私はすぐに新しい生活の場を見つけなければならなくなりました。なぜすぐにいい家に導かれなかったのか…その理由に関して混乱したり、新しい家を見つけることが困難なことだからといって、この過程を迷宮の旅と見なすのは簡単なことです。実際私は、何か間違ったことをしただろうか?と自分自身をジャッジしました。それでも今、私はこの過程~その一歩一歩がとても有意義なものだったと理解しています。私は家を探すためにたくさんの新しい人たちと話をしなくてはなりませんでしたが、その途中、私はとても親しい友人をつくることができ、また、彼らと一緒に私の経験からたくさんのことを学ぶことができたからです。私がペルーに着いてすぐに然るべき家に直接引っ越すことができていたら、私は時間の大半をそこですごしてしまうことになり、このような価値ある経験,必要な情報,新しいつながりを逃していたことでしょう。

 これこそ、私たちがいつでも広くオープンになっている必要がある理由です。そして、「たとえそうとは思えないとしても、私たちはいつでも然るべき時,然るべき場所の真っ只中にいる」ということは、本物たる者としての私たちが常に覚えておくべきことです。


-Jueuxさん訳

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【転載】ソアラ・サーフリポート for 2011 (2) 

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