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2008/10/12(日)晴れ


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10/4から、休み明けの月曜日、某ビルのバイオレットのライトアップが消えていた。

毎日私は見ている。土日の状態は分からないけど、最近では、あの二日間だけだった。
「ありがとう~」※思いこみでもなんでもいい。(笑)
以前はレインボーのライトアップがされていた事があったけどね。

ようやく、分かったような気がする。この10日間ほどのこと。
朝、目覚めたらハートもblogを書くことに同意した。
これって変な感じでしょ。blogひとつにしてもハートで感じるの「今だ。」って。

blogにも「待つ時期」がある。

*  *  *

前回のblogから、特になにもあるわけではなかった。
ただ、静かに幸福感が漂っていた。
職場の人の笑顔を見て、花壇の花を見て、空をみて、風を感じて。
いつもしている事なのに、ほんの少し違って感じていた。

あとの時間は「ぼ~」とする事も多く、仕事中ちょっとヤバイか。と思う
事もあった。

ミカエルの本の一言もあって、いつもの何気ない行動に
意識が向いていたのかも知れない。

「 空を見上げてサインを探してください。私たちはそこにいるでしょう。
あなたの内なる声に耳を傾けてください。私たちは話しかけているのですから。
毎日、注意して小さな奇跡をあなたのために起こしているのですから。
 自然の微妙な元素の働きに心の波動を合せててください。あなたの注意を引くために
自然の力も活用しているのです。」

などなど、
「私たちの存在に気付いてもらうためにこのような手段や、その他のいろいろな
方法を私たちは使っています。」

そうだ、そうだ分かっちゃいるけど忘れる。(笑)
微妙に意識をシフトさせる事で、また違って感じてくる。意識ってなんだろうね。

そんな微妙な感覚で、いつもと変わらぬ光景がちょっと違って見えたのかも知れない。

映画「ブラザー・サン シスター・ムーン(1972)」を久々に観たくなったよ。
聖フランチェスコの姿が目に浮かんだ。
深くハートと共鳴したのを覚えている。

*  *  *

さて、今日の本題。
この二日間で、ようやくすっきりとしてきた事があった。
「自分自身と恋に落ちる」と言うこと。
シャウドでセント・ジャーメインやトバイアスなどが伝えていた事なんだけど。

先週の土日も「休息」として土日はゆっくりと過ごした。
ハートで「休息」の許可が下りていたから。

特に印象付けることはない平日を過ごし、この四連休(10/10-13)をどう過ごすか
と思っていた。

調整休があり、以前は伊勢か、チャネリングスクールに使うか?と思って
いたけど、今行く必要性がなくなってしまったのでぽっかりと空いてしまっていた。

時々マインドとのズレはやはりあるのだった。
すぐに分かるからyoham(真の自己)を信頼し従うけど。

マインドが言う。
「ねぇ、どうするの?こんなに休みがあれば、人の多い所でも神社でもどこでも
出かけられるよ。少しでも動いていたいじゃない?」
yoham
「。。。無視」
マインド
「あら?無視なんだ。じゃ必要ないってこと?ふ~ん。何だか上の方々にも申し訳
ない感じ。こんな時期なのに。。。」

と感じた瞬間に、あっ、違う。
全てが完璧と感じている中で、こんな気持ちも必要ないんだ。
これは、感謝で受け取る事だった。

じゃ、この自由な休日をゆっくり過ごそう。贈り物なんだよね。
そんな感じで感謝で受け取っていたものの。
本当に、どこに行くとも全く出てこない。
いつもなら、「ここ」とイメージが浮かぶし、用事やら目的も自然に現れるのに。
でも、この感覚を私は完全に信頼する。
そして、計画なく自然に現れたことに、選択をしていけばいいだけさ。と
流れにまかすことに。

連休前日、木曜日の夜は、何故か「幸せ~」を連発していた。
ハートから「何もない幸せ」と言うのが湧き上がってくる。
休み前の開放感も手伝っているかも知れないけど(笑)
ちょっと、違う感じ。自分でも「???」。

休みの金曜日。
ただ「一人」を楽しんでいた。静かな時間が良かった。
一人であることの「自由」が心地良いのかも知れない。

ひとつ気になっていたことがあったのを思い出した。
それは、昔、宗教を脱会するときにお世話になったカウンセラーの方から
数ヶ月前に電話があった件だった。

*  *  *

「自分自身と恋をする」-2

             
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「自分自身と恋をする」-1から

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*  *  *

そのカウンセラーさんは、マインドコントロールに関しての専門でも
あって、私がお世話になっていた頃から、「宗教による虐待」の問題
を扱って本を書き始めた頃だった。

包容力と尋常ならぬ忍耐と愛で多くの人と向き合い、多くの人の相談と
精神的なものを回復させていた。
自分の過去にも忍耐と努力で逃げないで克服していた。

今回の電話は、新たに書く本の中で、数人の元信者へ回復までの過程などを
書いて欲しいとの依頼をしているようだった。

そして、以前の自分とはあまりに変化しているために、書くことへのためらい
があって「考えてみるけど、書けたら書く。あまり期待はしないでね。」
と助けていただいた方への態度としては申し訳ない感じだった。

でも、電話を切ったあとに頭の中で沢山の言葉が溢れてきていた。
ハートがワクワクしていた。

あ。。。書くのかも知れないな。
期限は12月末と言うことだったので、のんびりしていた。
頭に浮かんだ言葉は忘れてしまったけれど、その時が来たら
思い出すだろう。
そして書くときが来たらハートで分かるだろうと思っていた。

この時間の余裕のある四連休はいいのかも。
それで、彼の二冊目の本が今年郵送で届き、読んでいなかったので読んでみた。

すると、全くスピリチュアルではないけど、色々な本からの情報も含めた内容には、
自分が行ってきたことの多くが書かれていた。

「色々な角度から見る・認める事・忍耐・勇気・努力・自分を信じる事」
これらを通して自分を取り戻す。自分を受け入れると言うことが書かれていた。

正直、今の心理療法に対して、思い込みがあったかも知れない。

このカウンセラーさんの場合は、スピリチュアルな事に関しては触れない。
各国で起こっている中には、カルト宗教と全く変わらないスピリチュアルな
グループの問題もカウンセラーさんは調べつくしている。
私はその事を知っているから、宗教の中で感じていた目に見えない
ことについては、本人には封印していた。
スピリチュアルの「ス」でも言ったら、すぐに心配するだろう。

カウンセラーさんは、個人に起きた神秘体験などを受け入れるし、否定する
ことは無かったけど、そこから判断を間違っていく危険性などを重視して
いたのだと思う。

私は、自分が興味のある事で、ただ心配されるのは嫌だったのかも知れない。

なので、その当時の私のスピリチュアルの探求は、未解決だった。
宗教に入る前から興味を持ち続け、宗教で知ったこともあるけど、
必要ない荷物も頂いて。(笑)←信念体系・コントロールなど。大きな意味では体験が必要だったのだけど。

だから、この分野に関しては、その後から一気に探究していったという流れ
になっていった。

私は、現在のカウンセリングには、過去生、カルマなど人には今生の問題だけではない
ものが関わっている事を知れば知るほど、開放するには時間がかかり過ぎる
と感じていた。

でも、たとえスピリチュアルな事を知らなくてもやる事は同じで、これはテーマは
限ったことではなく、この過程を実践することによって、多くのものを手放していける
のかも知れないと本を読んで思えた。

*  *  *

この本の依頼の件を思い出してからが、この四連休の時間の意味を
知っていくとは思っても見なかった。

ちょっと話がズレちゃうかも知れないけど。

あの時期。。。2000年秋。

今回の「自分自身に恋をする」体験のポイントがカウンセラーさんとその時に出会った方たちとも
繋がっていたし、たくさん教わっていたことに気付いた。

自分のその頃や過去の事などを振り返ってみると。。。

喪失感、挫折感、自責、無力感、パニック障害やらなにやらでボロボロだったにも
関わらず、何点か見えてきた。

それは

・内観(感)の方法。
 「どうして?」
 「なぜ?」「いつ?」「どこで?」「どのように?」「だれが?」

 この質問によって、自分だとと思っていたものに対して、見つめることが出来、
 更に、本来の自分である事と、自分でないものが分かるようになる。
 思い出せる。
 無意識に行ってきたけど、ポイントはカウンセラーさんの投げかけによって
 身についていたかも知れない。

・受け入れること・認めること。
 自分の感じている事に対して認めること。
 私は、自分の起きている事を認められなかったし、人に話すことでは
 ないと感じていた。
 自分が痛みを負うと、世の中には、もっと沢山苦しんでいる人がいる。
 と話をすり替えて自分を頑なに認められなくなっていた。
 ※これには時間がかかった。自分が傷ついた事や他者(カウンセラー)に伝える
  事自体が罪悪感になり、声に出そうとするだけで最初は苦しくめまいがした。

人っていつの間にか、色々な人の影響やらコントロールやら(まっ、ウィルス?)
で以前の自分さえも忘れてしまうこともあるって事なんだと思う。

・変化・自分の選択に対して、自分の責任を負うことなどに対しての勇気。
 あるときに、カウンセラーさんは言った。
 「病院にいきなさい」
 何故、そう伝えたかと言うと、
 人の中には、「治りたい人」と「治りたくない人」がいるんだよ。って話してくれた。
 ※それは言葉は違ったけれど、「犠牲者でいたい人」「ドラマを続けたい人」と
  「もう止めたい人」がいる事を伝えてくれていた。
  私は、病院にいくことをあまり考えていなかったけど、その話を聞いて
  病院にいくことを選択した。
  ※病院は数ヶ月で終了し薬も半年後には手放していた。

・忍耐
 人間はすぐには変わらないこと。
 例えば、自分の例のたった一つの事だけど。
 自分でわかっている癖がある。
 私は、母のコントロールが強かったかもしれない。
 幼少のときは特に。
 母も悪気はなく、親は多かれ少なかれあるものだと思う。
 それが愛情と思っている場合もある。
 そして私は人に合せることによって自分を偽ってきていたのだろうと思う。

 そのコントロールに関して、自分は同じようになりたくなかった。
 しかし、子供を育てていると、同じような事をしている自分に気付く事があった。

 子供は正直に私に向かって、認めてくれないことに対し、
 コントロールに対して嫌悪を表現したことがあった。
 それは、本当に良い機会だった。
 
 気付くと「あっ、同じことしている」
 自分の取った行動に対して、相手が子供であっても関係なく間違ったことに関しては
 謝ることを行動しはじめた。
 もし、誤解があったときには、理解できるように表現することを
 試みた。カウンセラーさんに教わったことでもある。
 いつもがうまく行く訳ではなかったけれど、努力をしようと思えた。

 最初は、抵抗があった。
 その動機には、もう一つの事があった。
 自分にも、もちろん同じ部分があったから鏡になっていたという事なのだろう。

 「謝ってもらえない(認める事をしない)」相手の相手(?)をする苦しさを知っていたから。
 「気持ちで通じていればわかるだろう。」は私にとっては甘えにしか見えない。
 それを許していた自分にも責任がある。
 結果エネルギーの奪い合いと言うことになるのだろう。

 でも、たった一言が、相手の心をどれだけ軽くするかを知っている。

 単に私の心が狭かったというだけだろうか?
 
 人間は自分を守ろうとする。だから行動が逆になってしまう事がある。
 自分を守ろうとしなくて良いと気付くと自然に(本来の自分)神聖に近づく。

 とにかく、出来なかった(行動で表現が)と感じると、またお試しがやってきた。

 次に出来るようになると、ハードルが少し高くなっていた。
 そして少しずつ、自分の中で変化し成長してきたと思う。

 なぜか、あらゆる場面で、とにかく自分と向き合わざる得なかった。
 ひとつ見出すと、いろんなところに自分ではないものを見つけた。
 それは、全く精神世界に入る前からの事だったのだけど、

 衝撃がなければ、自分の場合は内側に向けなかったのだろう。(笑)

*  *  *

「自分自身と恋をする」-3へ続く

★↓本日10/12(日)の始めはこちらから。
「自分自身と恋をする」-1
「自分自身と恋をする」-2から

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*  *  *
 
でも、今回の休日で思い出させてくれたのは、特に「質」に関してだった。
それが、なんだかポイントだったように感じる。

脱会後に私は、良かれと思ってやっていた事が、ものの見事に
加害者であり被害者であり、罪をなくすためだったはずが、罪深さを感じていた。
そして、自分を全否定しなければならなかった。
強制されたわけじゃないけど、家族一人ひとりに頭を下げる結果になった。
認めなきゃいけないと感じたからに過ぎないし、そのままでは
前に進めないと感じていたから。

その時に出会った方から、
「でも、そんな自分でよかったでしょ?」と言われた。
「命がけで、家族や先祖の為に(行動)出来た自分にと言う意味で。」

確かに、人生でやれる事はやった。結果間違っていようと自分は、もういつ
死んだっていい。と思っていたことだけど。。。
言われて違う扉が「すーっ」と開いた感じだった。見方を変えてくれた。

表面に現れたことではなく、
個人的な、人間としての「生き方」だけの事だった。

脱会後、身内の家族の愛を感じ、いざ我が家へ戻った。※別の場所にいた。
すると、更に試練が続いていた。
離婚を考えるようになり、最後まで努力はするけど、もうお互いにこのままでは
良くないと自分でも理解し始めていた。

その背中を押すように、義母が言った。
「あなたは、一生この家で償って生きなさい。」

この言葉に「ぷつん」っと張ってた糸が切れた。
「冗談じゃない」(爆)

それから、離婚に対しても一切の負い目も持たず、誰が何を言おう
と決心した。

そして、「悲劇のヒロインには、絶対なりたくない」と「犠牲者」にはならない
と思っていた。
実際に、この時期ひとり言のように言っていた。
↑たぶん、この時に選択したんだろう。

それが、その後にどんな失敗があろうと、再度、負け犬と感じようと
自分を支えてきたことかも知れない。
※あくまでもベースにあった。と言う話。
 その後も、まだまだ気付かず壁当たってたから。(笑)

自分の求めていたものは「物」ではなく「質」だった。←後で知った。
だから、その間には、自分に対してまだまだ妥協してきた。

それは、念願の家や車などを買ったときに感じていたときもあった。
あんなに欲しいと思っていたものが手に入ったとき。
それは、最初は良いのだけど、その内に「何か違う」と感じてしまう。
満たされない思い。
外側に求めていたからだと、今は理解できるけど、当時は、まだそれが何なのか
まだ知らなかった。

その後に出会った本や、出合った人からも更に多くを学んだことは間違いなかった。
少しずつ拡大していったのだろうと思う。

ただひたすら、自然と内観(感)、認める、受け入れるなどを続けていた私は、
他の人に聞き返すことをしていない事に気付いた。
最初の頃blogに書いていたかも知れない。

「どうして?」「なぜ?」
一言でいえば、ええカッコしいであったかも知れないし(裏返せばコンプレックス)
自分がない(優柔不断)にも繋がっていたかも知れない。

それは、チャネリングを受けるようになってから気付いた。
家に帰って、あれ?これってどういう事?と思うことが時々あった。
そして自分は聞き返すことをあまりして来なかったことに気付いた。

それから、チャネリングの時にメモを取るようにしていったのが始まりだったかも。

いつの間にか、子供から「カッコいいお母さん」って言われるようになりたいな。
って思っていた。(笑)

カッコ悪い姿も多く見せてきたけど、「カッコイイ」ってどんな?を
客観的にシュミレーションする。
すると、自分で自ずと選択に対しての答えが見えるときがある。

それを行動するときには、勇気が必要な事もあるし、誰も知らない。
子供たちだって知らない。
自分だけのシュミレーション。
反対に自分の親だったらどうだろう?上司なら?
どんな人がカッコイイと感じる?

そう問いかけて、自分の行動を合せることも結果的には、自分を愛せる
要素に繋がっていたことに気付いた。

やり方は人それぞれなのだと思う。自分の出来ない事は、ある人には簡単なことで。

かと言って、思っているだけで行動にしなければ、やらない事と同じで。

変化する事を許可したら、選択したら。。。
人それぞれ今生で超えていかなければならない問題や試練などがやってくる。
超えられるまで。
この試練は、本当に愛だと、自分への帰還の道のりだったと改めて思う。
いずれは、皆辿り着くのだけど。

私の魂の克服や目的に、組み込まれていたことは、いつだかの
全て失ったあとの時かな?チャネリングのメッセージでもらっていたように思う。

それを超えるごとに、自分を愛せるようになり、また一つが線で結ばれて
いくのかな?と思えた。

多分、自分に向き合うことから逃げていたら、決してこの「自分を愛する」
過程には辿りつけなかったように思う。

「自分には価値がある」言葉で言うことは簡単だけど、それを実感するまで
体験するのって途方もないくらいの地道な作業が必要だった。

そうそ、今は私のような時間や体験などしなくても、ツールは確かに存在するかも。

でも、「急がば回れ」はある意味真実のようにも思える。

この前の何かの情報に書かれていたと記憶する。
今はプロセスの流れの速さは10倍らしい。
私が8年かけてきたことが、8ヶ月かも。えらい速さだ。
8ヶ月なら8週間?

今は、恩恵のときだね。

*  *  *

そんな「長い旅」にも、昨日でなんとなくひと段落かな?と思えた。

一昨日、カウンセラーさんに簡単な文章を送った。
あくまでも土台、参考までにと言う感じで。

こうして、自分を振り返ったときに、逃げずに来れたこと。
自分の失敗や欠点・エゴなど、そして自分の設定したユニークなプロセスのあり方も
全部含めて、微笑むことが出来た。
※私独自のプロセスのあり方は、このBlogに書くようになり、
  大変だけど、私らしくて気に入っていた。自分で決めているから当たり前なんだろう
  けど。(笑)

一時の感傷ではなく「自分自身に恋をする」ってこう言う事なのか。って思えた。

すべて丸ごと「好き~!」って思えるし湧き上がってきた。
それは、言葉で表現が出来ない。

先月までは、まだ自分のエゴに対して受け入れられなかった自分
もいたのに、そう格闘していたという感じで。
受け入れようとしても、これでもかって位に見せ付けられる。

「自分の物ではない」→「私は在る」

に至ってからは更に「ぼ~っ」としていた日々だけど、

それが、【自分自身と恋に落ちる】に変化した。

なんと長かったことだろう。。。
肉体を持って、いままでの転生分の開放はやっぱり重かった。(笑)

ある程度は自分で設定したことだと思うけど、今から思うと2000年の大きな出来事から
更に、多くの人を通して、上の存在たちの導きやサポートを受け取ってきていたのだとわかった。
どうするのかは、自分の自由意思に任されていたわけだけど。

結果、ただ手放して楽になるって話だけでなく、「自分を愛することになる」という事
なのだと感じた。

そして更に本番はそこからなんだね。
だって目的は奉仕であり、何のために生まれてきたのか。だもんね。

「これだけやって来たんだ~@@」って言いたい訳ではなく、
何事も、色々な方法があり、一歩一歩ではないか。

その一歩が結果、自分を愛することに繋がっていたのを知った。ってことでした。

あらら、またまた長くなってしまったね。
こんなに出てくるとは思わなかった。

*  *  *


↓以下の内容を引っ張ってきました。
ミッドサマー・ニュー・エナジー・カンファレンス 2006
アダマス セント ジャーメイン チャネル(P3~)


● 「スタンダードとしての道」は、「自己」に始まります。から「1」を抜粋。

1. まず、自分自身を愛することです。自分自身を愛すのを学んでいなければ、どうやって他の人たちの役に立てるでしょうか、手助けができるでしょうか。あなたが古いオーダーを去るように言われて以来、孤独のなかであなたが学んできたことの多くが、自己を愛するのを見出すことでした。愛を見出すためには、闇を見出さなければなりませんでした。拒絶を、憎しみを、孤独を見出さねばなりませんでした。そうすることで、自分自身に本当に恋に落ちるのがどんなものかを知りながら、ここに戻ることができるからです。

体現シリーズ シャウド9
魂の自由Ⅳ セント・ジャーメインとトバイアス特集(P11-14)


私はクリスタルにとらわれている時、自分のあらゆる部分を愛することを学ばなければなりませんでした。ちなみに、他人を愛するのは簡単なことです。外側にあるものを愛するのは簡単です。私は自分自身を愛することが、何よりも困難なことであるというのが、分かりました。しかし、それが唯一の出口であるというのも知っていました。私は自分がしたあらゆることを、愛さなければなりませんでした。私は自分についてのあらゆることを、愛さなければならなかったのです。
自分自身を愛の眼差しで見るというのは、時に難しいことです。自分自身に愛を与えるのは、居心地の悪い時があります。あなたは、自分自身を愛するべきではない、という信念体系の中でしつけられてきたからです。(セント・ジャーメイン)



「自分自身と恋をする」-4へ続く




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